改革の灯 戦争の影 どようび ひる はいくおうこく み く 土曜日の 昼 、NHKBSの「俳句王国」を見ていたらこんな句があった。 ぎょうねん ぎんざ 行 年 (ゆくとし)を銀座のカフェの にかい 二階から とし せ がいろ ゆ き かい まど み お ことし く 年の瀬の街路の行き来を2 階 の窓 から見下ろしている。今年も暮れる、みんな いそが ある らいねん とし かんがい 忙 しそうに 歩 いているな、 来 年 はどんな年になるのかなと 感 慨 にふける。なかな く おも ひこう とくてん はい はいく かんたん み かいい句だねと思 ったけれど、披講の得点 は 入 らなかった。俳句は 簡 単 そうに見 むずか あらた えて 難 しいねえと 改 めて思った。 まいしゅうかようびけいさい ぽりてぃか こ ら む はじ あし ねん 毎週火曜日掲載 の「ポリティカにっぽん」のコラムを 始 めてから足 かけ9 年 になる。 なが およ ばとんたっち しおどき おも こんかい かなりの 長 きに及 んで、そろそろバトンタッチの潮 時 とも思 われるので、 今 回 をもっ さいしゅうかい かいめ とし せ げきどう ねん ふ かえ て 最 終 回 としたい。9回目の年の瀬にあたって、激 動 の1 年 を振り 返 り、さかのぼ ねんかん にほんせいじ へんか ぶ かえ だい ぽりてぃか み って9 年 間 の日本政治の変化を振り 返 ってみたい。 題 して「ポリティカにっぽんの見 じだい 」 ー ー 。 てきた時代」――。 ことし ぽりてぃか すく ら っ ぷ がんじつ こいずみしゅしょう 今年の「ポリティカにっぽん」のスクラップをたどってみると、 元 日 の 小 泉 首 相 の やすくにじんじゃさんぱい おどろ ご い ら く じえいたいはけん 靖 国 神 社 参 拝 に 驚 かされ、その後はイラクへの自衛隊派遣、スペインでのテロ、 がつ こうえんなおこ にほんじん にん ひとじちじけん・・・・・・ い ら く もんだい おだ 4 月 の高遠菜穂子さんら日本人3 人 の人質事件……とイラク 問 題 にまつわる 穏 や つづ ことし かならざるできごとが 続 いた。今年もいろいろあったなあ。そうだった、あのとき じこせきにん ことば と か 自己責任という言葉が飛び交った。 たいへいようせんそう かいせんきねん がつ にち とない ひら けんぽうあんぎゃ かい 太 平 洋 戦 争 の開 戦 記 念 の12 月 8 日 、都内で開 かれた「憲 法 行 脚 の 会 」の の も あ つど き おちあいけいこ はなし おも だ おちあい 「ノーモア12・8の 集 い」で聞いた落合恵子 さんの 話 を思 い出す。 落 合 さんは81 さい あ る つ は い ま ははおや かいご い ら く おも 歳 のアルツハイマーの 母 親 の介護にあたりながらイラクに思 いをはせる。「かたわ はは いのち い ら く とお いのち じつ づ らの 母 の 命 は、イラクの遠 い 命 と地続き」と。 おちあい にほんじんひとじちじけん かた 落 合 さんはそこから日本人人質事件を 語 る。 わたし こころ いきどお きざ じこせきにん ことば いのち 「 私 の 心 に 憤 りとともに刻 みつけられているのは自己責任という言葉。 命 じょうきょう ひと じこせきにん ことば な がどうなるかわからない、つらい 状 況 にいる人 たちに自己責任という言葉を投げつ じこせきにん ことば だれ き す ことば つか かるがる ける。自己責任という言葉が、 誰 かを切り捨てる言葉として 使 われる。それに 軽 々 の わたし ・・・・・・」 と乗ってしまう 私 たち……」 ころ りゆう ひと ころ じしん せきにん 殺 される理由のない人 が殺 されようとしているのに、それはあなた自身の 責 任 だ くに めいわく きゅうしゅつひよう じぶん はら じこせきにん よ、国に迷 惑 をかけるな、 救 出 費 用 は自分で払 えという、あの自己責任という ことば せんそう ことば 言葉のあさましさ。そもそも戦 争 することがいけないのに、これがはやり言葉になると ころ はしだしんすけ にん は……。イラクでほんとに殺 された橋田信介 さんら2 人 のジャーナリストにはある かくご こうだあかししょう いのち にほんせいじ なに えいきょう あた 覚悟はあったとはいえ、 香 田 証 生 さんの「 命 」は日本政治に 何 ほども 影 響 を 与 えなかった。 じだい にほんせいじ ぶ む ば っ し ん ぐ あいだ はげ 「コイズミ時代」になってからというもの、日本政治はブームとバッシングの 間 を 激 ゆ じみんとう こわ こいずみ ぶ む こいずみしゅしょう しく揺れる。「自民党をぶっ壊 す」という 小 泉 ブームのころ、 小 泉 首 相 の がいとうえんぜつ き ちゅうねん じょせい じょしこうせい おお つ じゅん 街 頭 演 説 を聴きにいけば、 中 年 の女 性 や女子高生が 多 く詰めかけて「 純 ちゃ て ふ こいずみにんき こいずみせいけん こいずみせいけん ささ ーん」と手を振る。小泉人気 が 小 泉 政 権 をつくり、 小 泉 政 権 を支えた。 ねん こいずみかいかく ゆめ あ がつ さんいんせん それから3 年 、 小 泉 改 革 の 夢 がいささか褪(あ)せて7 月 の 参 院 選 で こいずみじみんとう おかだみんしゅとう やぶ かんこく ど ら ま ふゆ そなた じょせい 小泉自民党が岡田民主党 に 敗 れるころになると、韓 国 ドラマ「 冬 のソナタ」が女 性 こころ ひろ はじ こころ ひび おんがく うつく ふうけい じゅんあいものがたり たちの 心 を広 くとらえ始 める。 心 に 響 く音 楽 、 美 しい 風 景 、 純 愛 物 語 は わたし かん こいずみ ぶ む あ ふゆ そ な ぶ む てんい 私 もすてきだなと 感 じたが、どうも 小 泉 ブームに飽きて「 冬 ソナ」ブームに転移し ぶぶん おも た部分もあるようにも思 える。 うらがえ ば っ し ん ぐ い ら く にほんじんひとじち じこせきにん ブームの裏 返 しがバッシングである。イラクの日本人人質 への「自己責任」がそう にほんじん こくみんかんじょう ふ おお かたほう ゆめごこち あ だった。日本人の 国 民 感 情 の振れが 大 きくて、片 方 で夢心地に盛り上がるかと おも わる かたほう ひと いた ひと き す 思 えば(それを 悪 いとはいわない)、もう 片 方 でひどく人 を 痛 めつけて人 を切り捨て ますこみ ばいかい あお ていく。それをわれわれマスコミが 媒 介 して、ややもすれば 煽 (あお)り立てることに もなる。 せいじか ねんきんみのうもんだい ついきゅう しか た みんしゅとうだいひょう 政治家の年 金 未 納 問 題 の 追 及 の仕方は、あれでよかったのか。 民 主 党 代 表 じに ん せま すが なお と し け す れいせい み やくしょ みす ようそ ほう の辞任を 迫 られた菅直人氏のケースなどは 冷 静 に見れば役所のミスの要素の方 おお ば っ し ん ぐ す さ さわ ねんきんもんだい が 大 きい。バッシングが過ぎ去ってみれば、あれだけ騒 いだ 年 金 問 題 の ばっぽんかいかく あいか て 抜 本 改 革 は相変わらず手つかずのままである。 けんあく ま きたちょうせん ちゅうごく せっ かた 険 悪 さを増している 北 朝 鮮 や 中 国 との接 し 方 はこれでいいのか。「こんなにな いきどお おりおりき い かた められていいのか」という 憤 りを折々聞くけれども、こうした言い 方 はやめたい。 せいじ がいこう ば あいて せいとう ひはん ついきゅう かんじょう 政治や外 交 の場では、相手への正 当 な批判、 追 及 と 感 情 のおもむくままの ば っ し ん ぐ わ みずか なか せん ひ じせいしん はんせいりょく バッシングを分けて、 自 らの 中 で 線 を引く自制心と 反 省 力 をもたなければなるま りゅうい じ き き い。「なめるな、やっちまえ」ということにならないように、よくよく留意 すべき時期が来 おも ているように思 う。 こいずみ じだい つよ かん かいかく せんそう あ ん さ ん ぶ る 「コイズミという時代」になって 強 く 感 ずるのは、「改 革 」と「戦 争 」のアンサンブルで なに じみんとう こわ せんげん にほんせいじ ていたい ある。 何 はともあれ自民党をぶっ壊 すという 宣 言 にこれまでの日本政治の 停 滞 の だ は きたい わたし こいずみしゅしょう かいかくろせん きほんてき し じ 打破を期待して、 私 も 小 泉 首 相 の改革路線を基本的に支持してきた。しかし かいかく かいかく かくめい いしん どくさい かいかく 改 革 はあくまで改 革 であって、革 命 でも維新でも独裁でもないのだから、改 革 がさ ていこう かなら じゅうぶん ていこう なかみ き まざまな抵 抗 で 必 ずしも 十 分 でないのもやむをえない。抵 抗 の中身には聞くべき ないよう 内 容 もある。 わたし せんごせだい に ど おも せんそう だが、 私 たち戦後世代は二度とあるはずがないと思 っていた「戦 争 」のにおいが ねんねんげんじつみ お どうじたはつ て ろ 年 々 現 実 味 を帯びてくるのはどうしたことか。むろん9・11の同時多発テロがあって、 せかい くうき か にちべいどうめい にしき みはた 世界の空気が変わったことはあっただろう。それにしても、 日 米 同 盟 が 錦 の御旗 ちょうせんはんとう とうなん のごとくなって、 朝 鮮 半 島 から東 南 アジア、カシミールからアフガニスタン、イラク、 ふあんてい こ にちべいきょうどう たいおう パレスチナまで「不安定の弧」への 日 米 共 同 の対 応 をとりざたされるようになると ・・・・・・。 は……。 せんじつ せいとうせいじ れきし まな かい がくしゃ せいじか じ ゃ なりすと つい 先 日 、「政党政治の歴史に学 ぶ 会 」という学者 、政治家、ジャーナリストによ べんきょうかい さかのじゅんじ とうだいめいよきょうじゅ ちょしょ しょ うわ し る 勉 強 会 があって、そこで坂野潤治・東 大 名 誉 教 授 の著書「昭和史の けっていてきしゅんかん しんしょ そざい ぎろ ん ほん ねん ねん 決 定 的 瞬 間 」(ちくま新書 )を素材に議論した。この 本 は、1936 年 から37 年 しょうわ ねん にほんせいじ ぶんせき なか かいかく せんそう かんけい (昭和11、12 年 )の日本政治を 分 析 する 中 で、「改 革 」と「戦 争 」の 関 係 につい きょうみぶか してき て興 味 深 い指摘をしている。 みんしゅてきげんろん とうじ りくぐん すなわち、(1)そのころはまだ 民 主 的 言 論 があったこと(2)当時の陸軍につなが たいせいかいかくは どうじ こくぼう しこう ろうどうしゃかいきゅう しゃかいたいしゅうとう る体 制 改 革 派 は同時に国防を指向し、労 働 者 階 級 の 社 会 大 衆 党 もこれに どうちょう ぐんぶひはん ちょめい みんせいとう さいとうたかお あんがい 同 調 していたこと(3)軍部批判で著 名 な 民 政 党 の斎藤隆夫は 案 外 、 しゃかいかいりょう れいたん てん さかの こうぞうかいかく 社 会 改 良 に 冷 淡 だったこと――などの 点 をあげつつ、坂野さんは「構 造 改 革 の はたふ やく こいずみしゅしょう じえいたい はけん いちばんねっしん とうじ そうき 旗振り役 の 小 泉 首 相 が自衛隊の派遣に 一 番 熱 心 なのは当時を想起させる」「い ていこうせいりょく じえいたい い ら く はけん はんたい すがた やく ねんまえ わゆる 抵 抗 勢 力 が自衛隊のイラク派遣に 反 対 している 姿 は約 70 年 前 の さいとうたかお るいじ の 斎藤隆夫と類似している」と述べている。 ま かいかく せんそう しんきんせい 待てよ、であれば「改 革 」はむしろ「戦 争 」と 親 近 性 があるということか。もしそうだ わたし こいずみ かいかく し じ せんそう ひはん な た とすれば、 私 が 小 泉 さんの「改 革 」を支持しながら「戦 争 」を批判するのは成り立 こま わたし かいかく す せんそう たないことにもなる。それは困 る。それならば 私 もまた「改 革 」を捨てても「 戦 争 」を はば がわ おも さかの き かいかく せかい 阻 む 側 にくみしたい。と思 って坂野さんに聞くと、「改 革 はロマンの世界だからね」と こた かいかく ろ ま ん せんそう ろ ま ん えんちょう 答 えた。そうか、改 革 もロマンならば、戦 争 もまたロマンの 延 長 ということなのだろ しょ うわ し まな かいかく はた き う。昭和史に学 ぶならば、改 革 の 旗 にはよくよく気をつけよということか。 こいずみ じだい ぶ む ば っ し ん ぐ ゆ せろん ひと 「コイズミという時代」がひとつはブームとバッシングで揺れる世論、もう一 つ かいかく せんそう てん とくちょう ことしで 「改 革 」と「戦 争 」のアンサンブルという2 点 で特 徴 づけられるとすれば、今年出たも ひと しょ うわ し へいぼんしゃ ちょしゃはんとうかづとし はなし みみ かたむ う一 つの「昭和史」( 平 凡 社 )の著 者 半 藤 一 利 さんの 話 にも 耳 を 傾 けなければ かれ にほんじん せんそう こた れきし もと い ならない。 彼 は「日本人はなぜ戦 争 をするのか」という答 えを歴史に求 めてこう言っ ている。 だいいち こくみんてきねっきょう こくみんてきねっきょう なが 「 第 一 に 国 民 的 熱 狂 をつくってはいけない。その 国 民 的 熱 狂 に 流 されてはい とき いきお けない。ひとことでいえば時 の 勢 いに駆り立てられてはいけない」 にばんめ にほんじん ちゅうしょうてき かんねんろん この ぐたいてきりせいてき ほうほうろん 「二番目は、日本人は 抽 象 的 な 観 念 論 を 好 み、具体的理性的な方 法 論 を けんとう 」・・・・・・。 検 討 しようとしない」……。 せんぜん にほん しんぶん せんそう かたん しょうわ とし 戦 前 、日本の 新 聞 がにわかに「戦 争 」に加担していったのは、31(昭和 6)年の まんしゅうじへん にほんぐん いんぼう かん 満 州 事 変 がきっかけだった。これが日本軍の 陰 謀 であることはうすうす 感 じていた せいめいせん まんもう けんえき しんぱん しの しの にほん のに、わが 生 命 線 「満 蒙 」の権 益 が 侵 犯 され、忍 べるだけ忍 んできた日本の がまん げんど せんそう ねっきょう も あ かくしんぶん たすう 我慢も限度があると「 戦 争 」の 熱 狂 を盛り上げた。各 新 聞 はそれぞれ多数の とくはいん はけん ぶ すう かくだい きそ せんぜん 特派員を派遣して部数の拡 大 を競 ったのだった。くどいようだけれど、そんな 戦 前 ぐ に ど く かえ く かえ の愚を二度と繰り 返 してはいけない、どうもへたをすると繰り 返 しそうだ、それが ぽりてぃか しんぱい 「ポリティカにっぽん」で 心 配 してきたことである。 ことしで ひと ほん ふ くどいついでに今年出たもう一 つの 本 に触れたい。「りぼん・ぷろじぇくと」という なかま えほん せんそう ま が じ ん は う す 仲間たちがつくった絵本「戦 争 のつくりかた」(マガジンハウス)である。かいつまんで いうと。 くに ねん まえ せんそう き わたしたちの国は60 年 ちかく 前 、「戦 争 しない」と決めました。しかしわたしたちの くに まも じえいたい ぶ き くに せ 国を守 るだけだった自衛隊が武器をもってよその国にでかけるようになる。攻められ さき せ そうだったら、先 にこっちから攻めるというようになる。 せんそう なんにん せいふ ひと き 戦 争 のことはほんの 何 人 かの政府の人 たちで決めていいというきまりをつくる。テ しんぶん せいふ はっぴょう とお い がっこう こくみん レビや 新 聞 は政府が 発 表 した通 りのことを言うようになる。学校 では、いい国 民 おそ こくみん ひと はなにをしなければならないかを 教 わります。だれかのことをいい国 民 ではない人 おも し こくみん かもと思 ったら、おまわりさんに知らせます。おまわりさんは、いい国 民 でないかもし ひと れない人 をつかまえます……。 さいきん はんせん び ら くば ひと つか み ほん とお 最 近 、 反 戦 ビラを配 った人 が 捕 まったりするのを見ていると、どうも 本 の通 りに すす おも ほん むす か 進 んでいるなと思 わざるをえない。で、 本 は 結 び近くにこう書いている。 じん よ なか いちばん いま おそ まちが 人 のいのちが世の 中 で 一 番 たいせつだと、 今 まで 教 わってきたのは間違いにな いちばん くに りました。 一 番 たいせつなのは、「国」になったのです。 いの ぺん お そんなことにならないように 祈 ってペンを置きたい。 ◇ ともに9年 読者に感謝 がつ にちづけ ぽりてぃか にほん やま くさ わたし ほん 11 月 23 日 付 のポリティカにっぽん「日本の 山 が腐っている!」で、 私 が「1 本 わり はし だい か し きょく の割 (わ)り箸 (ばし)」と 題 する歌詞をつづって「だれか 曲 をつけてくれないかな」と か ふじの か よ かじのやすお やまだてつや にん さっきょく 書きましたら、藤野カヨさん、梶野靖夫さん、山田哲也さんの3 人 が 作 曲 してください ました。 かしゅ ふじの こ も び もり か し うつく おぎな とりわけ歌手の藤野さんは「よみがえれ木漏れ日の森よ」など歌詞を 美 しく 補 っ うつく こえ ぴあのみずのくみ へんきょく ふ こ ていただいたうえ、 美 しい声 でCD(ピアノ水野久美、 編 曲 とだまきこ)に吹き込んで やま もり まも うんどう なかま き おも くださいました。これから 山 と森を守 る運動 の仲間に聞いてもらおうと思 います。 ねん こ ら む つう どくしゃ たよ 9 年 のコラムを通 じて、たくさんの読者からお便 りをいただきました。とくに せんそうたいけん かたがた へんじ か 戦 争 体 験 をよせてくださった 方 々 、ありがとうございます。なかなかご返事を書け こころ かんしゃ ませんでしたが、 心 をともにできたことを感 謝 しています。 (2004/12/28) Rays of Reform, Shadows of War ― Booms and Bashings Characterize the “Koizumi Era”― While watching the TV program “Haiku Okoku” (Haiku kingdom) on NHK’s satellite channel, I came across the following haiku: “I watch the passing year / From the second floor of a Ginza café.” I thought about the writer looking down on the street from a second floor window as passersby came and went during the busy year-end season. Everyone appeared to be in a hurry. The writer must have been thinking, What will the coming year bring? I thought it was a good haiku, but it was not selected for recitation. Haiku appears easy to write but is actually difficult, I thought once again. It has been nine calendar years since I started writing this column, “Politica Nippon,” which is run in The Asahi Shimbun every Tuesday. With the passage of time, I think it’s time I passed the baton. So this is the last column of the series. At the end of the ninth year, I wish to look back on the turbulent past year as well as the changes that took place in the Japanese political scene over the past nine years. I will call this piece “The age Politica Nippon has watched.” Let me go over the clippings of this year’s “Politica Nippon.” On New Year’s Day, I was surprised at Prime Minister Junichiro Koizumi’s visit to Yasukuni Shrine. After that, disturbing developments related to Iraq happened one after another, such as the dispatch of the SelfDefense Forces to Iraq, terrorism in Spain and the hostage crisis involving three Japanese civilians in Iraq. So many other things happened this year, too. I recall how the term “personal responsibility” became a buzz phrase. I remembered a story I heard from Keiko Ochiai at an event titled “No more 12.8 rally,” which was organized by “Kenpo Angya no Kai” (Pilgrimage for the Constitution) and held in Tokyo on December 8 to commemorate the anniversary of the opening of the Pacific War. While caring for her 81-year-old mother, who has Alzheimer’s disease, Ochiai explained how she thinks about Iraq. “The life of my mother, who is next to me, is connected to faraway lives in Iraq,” she said, then spoke about the Japanese hostage crisis in Iraq. “What is engraved in my heart along with anger is the term ‘personal responsibility,’” she said. “People threw the words ‘personal responsibility’ at those whose lives were at stake. The words were used to slash at those left in the lurch and we easily jumped on the bandwagon…” The lives of people who had no reason to be killed were being threatened. How could anyone say they were responsible for their predicaments and tell them not to cause the government trouble? Some people even demanded that the released hostages personally shoulder the cost of their rescue work. How sordid of them to say they should bear “personal responsibility” for what befell them. To begin with, it is wrong to make war. But to think that the term became a buzzword… In Iraq, two journalists, including Shinsuke Hashida, were actually killed. Perhaps they were prepared to accept their fate to some extent. But the “life” of Shosei Koda had no effect whatsoever on Japanese politics. Since we entered the “Koizumi era,” Japanese politics have swayed violently between booms and bashings. Koizumi created a boom when he said he was going to “tear the LDP to pieces.” Back then, when Koizumi stood on street corners to deliver speeches, he was surrounded by middle-aged women and female high school students who waved at him with cheers of “Junchan!” Koizumi’s popularity both made and gained support for the Koizumi administration. Three years later, as the vision of Koizumi reform lost its luster, the Koizumi-led LDP lost the July Upper House election to Minshuto (Democratic Party of Japan), which was under the leadership of Katsuya Okada. Around that time, the South Korean television drama “Winter Sonata” started to capture the hearts of Japanese women. I also found the beautiful music and scenery of the story of pure love very appealing. At the same time, I couldn’t help suspect that people who were getting tired of the Koizumi boom had shifted their interest to “Winter Sonata.” Bashing is the reverse of booms. The argument of “personal responsibility” of the former Japanese hostages in Iraq is a typical example. Japanese national sentiment is showing a violent mood swing. At one moment, it shows a rapid surge as if in a trance (which is not entirely a bad thing) and the next moment it swings to the other extreme to mercilessly hurt others. And the mass media, of which I am a member, tends to encourage the trend. Was the way we grilled politicians who failed to pay pension premiums right? Now that we calmly look at the case of Naoto Kan, who was forced to step down from the Minshuto leadership, it is clear that his failure was largely due to government error. Once the bashing is over, we realize that nothing has been done to drastically reform the pension system over which the media made such a big fuss. Japan’s relations with North Korea and China are becoming increasingly grave. Is Japan dealing with them in the right way? From time to time, I hear people say we shouldn’t let them make a fool of us and get away with it. But we should refrain from speaking like that. In politics and foreign policy, we need to draw a clear line between fair criticism and emotional bashing and deal with the other party with self-control and reflection. I think it is time we carefully check our behavior and refrain from showing an outburst of emotions. What I have come to strongly feel in the “Koizumi era” is that “reform” and “war” form an ensemble. At any rate, I have basically supported Prime Minister Koizumi’s policy of reform because I counted on him to break stagnant Japanese politics with his declaration that he would break the LDP. But reform is just reform -- it is not a revolution, restoration nor a dictatorship. As such, it cannot be helped that reform has not fully materialized because of various kinds of resistance put up by opponents to reform. But some of the opposition views are worth listening to. People of postwar generations like myself have long held the belief that war would never be repeated. Then why do we feel that war is becoming increasingly realistic from year to year? Of course, for one thing, the September 11, 2001 terrorist attacks on the United States changed the atmosphere across the world. But I never thought the Japan-U.S. alliance would come to be treated as a noble cause that requires Japan to act jointly with the United States in the “arc of instability” stretching from the Korean Peninsula to Southeast Asia, Kashmir, Afghanistan, Iraq and Palestine. Recently, I attended a study group “to learn from the history of party politics.” It was comprised of scholars, politicians and journalists. We exchanged views on “Showa-shi no Ketteiteki Shunkan” (Decisive moments in the history of the Showa period), which was written by University of Tokyo professor emeritus Junji Banno and published by Chikuma Shobo. The book analyzes Japanese politics from 1936 to 1937 and makes an interesting observation about the relationship between “reform” and “war.” According to the book, (1) back then, democratic speech was still tolerated. (2) Proponents of systematic reform leading to the army of that time also aimed at national defense at the same time. Shakai Taishuto (Social Mass Party), which was supported by the working class, also shared the same idea. (3) Contrary to general belief, Takao Saito of Minseito, who was known for his criticism of the military, was indifferent to social improvement. Banno states: “The way Koizumi as an advocate of reform is more eager than anyone else to dispatch the SDF is reminiscent of the time.” … “The way so-called forces of resistance are against the dispatch of the SDF to Iraq is similar to the attitude of Takao Saito some 70 years ago.” But wait. If so, does it mean “reform” is closely related to “war?” If that is the case, it would be unreasonable for me to criticize “war” while supporting Koizumi’s “reform.” I don’t like it. In that case, I would rather abandon “reform” and oppose “war.” When I said so to Banno, he replied: “Reform is a romantic idea.” I see. If reform is a romantic idea, war must also be an extension of a romantic idea. If we want to learn from Showa history, we must be very wary of the banner of reform. That seems to be the basic idea. The “Koizumi era” is characterized by public opinion that keeps swinging between booms and bashings and by the ensemble of “reform” and “war.” I should also make reference to the words of Kazutoshi Hando, the author of “Showa-shi” (Showa history), published by Heibonsha, that also came out this year. In answer to the question, “Why do the Japanese people make war?” he turns to history and writes: “First, we must not create a national craze. We must also not get carried away by it. In short, we must check ourselves from being incited by the trend of the times. Second, the Japanese people like abstract concepts and do not make an effort to study concrete, reasonable methods.” The 1931 Manchurian Incident caused prewar Japanese newspapers to suddenly support war. Even though they were vaguely aware that it was a conspiracy of the Japanese army, newspapers aroused public sentiment for “war” on grounds that Japan could no longer bear the humiliation at having its interests in Manchuria and Mongolia violated, since it heavily depended on the region for survival. Each newspaper dispatched a large number of correspondents and competed to expand the circulation of their papers. At the risk of sounding repetitious, let me once again say we must never repeat the same folly of the prewar years. But unless we are very careful, we could repeat it. This is what I have been worried about during my writing of “Politica Nippon.” Readers may find this column too wordy, but allow me to mention one more book that also came out this year. It is a picture book titled “Senso no Tsukurikata” (How to make war), created by members of “Ribon Purojekuto” and published by Magazine House. Let me give an outline of the book: Nearly 60 years ago, our country decided “not to go to war.” But the SDF, whose only purpose was to protect our country, started to go to foreign countries carrying weapons. When other countries appeared ready to attack us, we came to attack them first. The country made a rule to allow a handful of government officials to decide everything that has to do with war. Television and newspapers came to be government mouthpieces. At school, children were taught what they must do to be good citizens. If they thought someone was not a good citizen, they informed the police. Policemen apprehended people who may not be good citizens…. Recently, as I come across reports about police arresting citizens who distributed antiwar flyers, I cannot help but think the story is turning into reality. The following passage appears near the end of the book: Up to now, we have been taught that human lives are the most precious thing in the world. But that turned out to be a mistake. Now, the most important thing is the “country.” I lay down my pen hoping it will never come to that. ― Having Been Together for Nine Years with Our Readers for Whom I Am Grateful ― I presented a verse entitled “Ippon no Waribashi” (A pair of chopsticks) in the November 23, 2004 Politica Nippon column that appeared in The Asahi Shimbun under the title “Mountains in Japan are rotting!” I wrote, “Perhaps someone could set my words to music.” Kayo Fujino, Yasuo Kajino and Tetsuya Yamada kindly responded to my request and sent me music to go with the words. In particular, singer Fujino complemented my verse with beautiful lyrics like “Forest come back to life / With sunlight streaming through the trees” and recorded the song in her beautiful voice on a CD (piano: Kumi Mizuno, arrangement: Makiko Toda). I plan to play it to fellow members of a movement to protect mountains and forests. Throughout the nine years that this column ran, I received letters from many readers. Thank you very much. In particular, I wish to express my sincere gratitude to those who wrote to me about their war experiences. I apologize for not being able to respond to all of you but I am grateful that we could share our thoughts.